チャリティー後進国の日本だから「地球と私にちょっといいこと」
CAF World Giving Indexという指数があります。
世界126ヶ国を調査し、「見知らぬ人を助けたか」「寄付したか」「ボランティアに参加したか」の3項目においてランキングを発表しています。
日本は、総合ランキング107位。
「見知らぬ人を助けたか」は、なんと126ヶ国中ワースト1位という結果でした。
先進国は寄付のランキング上位を占める中、日本だけ64位。もちろん先進国中最下位です。
これには、どんな背景があるのでしょうか。
様々な説があります。
税制優遇がされにくいからという説
日本は今も個人寄付よりも法人寄付が圧倒的に比率が高いのが特徴ですが、寄付金を損金にすることで法人税の徴収が減ってしまうことは戦後の日本では良くないこととされ、欧米よりも控除がされにくかったという歴史があるそうです。
現在もまだ税制優遇が受けられる組織・団体が限られていたり、控除を受けるための申請が煩雑であったりしますが、寄附金控除の制度は時代に合わせて徐々に変容してきています。
無宗教に起因するという説
小さい頃から、「他人の幸せこそ自分の幸せである。」といった信仰を持つ人と、無宗教の人は、慈善活動へのモチベーションは異なりそうです。
途上国でもミャンマーやインドネシアなど信仰の厚い国は上位にランクインしており、この結果も自然に思えてきます。
偽善イメージが先行しているという説
他の先進国にも偽善者という概念はあるので、結果には影響が少ないかもしれませんが、NPOなどの公益団体に対するイメージも、欧米と日本では異なるように思います。
日本は「慈善団体」というイメージで、公共性が高く、経済と遠い印象に対し、アメリカなどのNPO/NGOは、巨大な権力を持ち、そこに寄付をすることが事業を左右するなど、より経済に密接です。
以前、アメリカで長く暮らしていた元クリスチャンの同僚がいました。
幼少期から教会に通い信仰深かった彼は、毎月様々なボランティアに参加し、寄付も沢山していました。
誰に対してもとても親切で、困っている人がいたら、全力で助ける。それが特別なことではなく、まるで必然のように行動している様子を見て、「本当にすごいなぁ、見習いたいなぁ」と思うと同時に、ここまでは出来ないかもしれない。と感じたことがあります。
しかし、循環型社会の観点からすると、社会課題への貢献は、持続可能な社会に寄与し、子ども達の未来に繋がるということは頭では理解しています。
そして、彼とは違う方法、日本にも溶け込みやすい形で、寄付を広められないだろうかと考えるようになりました。
その時、ふと「ちょっとずつ。」「一歩ずつ。」「できることから。」というフレーズが頭に残るようになりました。
step by stepが日本には合うのかもしれない。と思いました。
また、目的はSDGsを達成することなので、事業目的自体も偽善ではなく、自分ごと。
私たちの地球のことであり、誰かのためのものではありません。
地球のリミットは刻一刻と近づいており、寄付文化が薄いと証明されている日本に、寄付という概念を植え付けるという時間をかけている余裕などないのではないか。
それなら、寄付という行為自体なく、無意識で寄付できる仕組みにし、寄付を誰でも身近なものにしたいと考えました。
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その為には、沢山の人に知ってもらい、沢山の人が欲しいと思える物を作り、沢山の人が手に取れる価格帯で提供しないと、何も始まりません。
地球と私にちょっといいことを作れるように、スタッフ一同邁進します。