合理的配慮が明暗を分ける。インクルーシブ教育システム
今日は、国連総会の「障害者の権利に関する条約」に明記され、文部科学省が2012年頃から取り組んでいる『インクルーシブ教育システム』についてお話ししたいと思います。
内閣府の発表によると、身体障害、知的障害、精神障害の重複を加味しない場合、人口の約7.6%に障がいが認められていますが、身体障害において70%以上が高齢者なので、子育て世代の周りには関係の薄い数字と映るかもしれません。
しかし、この数字には含まれていない子ども達がいます。
この少子化が進む中でも、特別支援学校、特別支援教室、通級指導の児童は全体の3%以上と増加傾向にあります。
インクルーシブ教育システムとは、障害のある者が、その能力等を最大限に発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とする目的の下で、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組みのことです。
インクルーシブ教育の成果は、個人の人生だけでなく、社会全体の議題です。
少子高齢化で労働力人口問題が深刻な日本だからこそ、特に障害のある人も働きやすい社会にする取り組みと合わせて、教育の重要性も高まっています。
インクルーシブ教育システムの構築のためには、学校などの基礎的環境整備と並んで、合理的配慮が必要であるとされています。
合理的配慮は、以下のように定義されています。
- 必要かつ適当な変更及び調整であること
- 特定の場合において必要とされるものであること
- 均衡を失した又は過度の負担を課さないものであること
子ども一人一人の個別の状況に応じて提供され、網羅的にまとめることは難しいため、独立行政法人国立特別支援教育総合研究所が、事例を検索できるデータベースも公開しています。
このデータベースは、具体的な事例が障害の種類や年齢などから検索でき、とても理解しやすかったです。
周囲の合理的配慮の知識の有無が、障害のある人の人生を左右すると言っても過言ではないと思います。
合理的配慮の知識があればインクルーシブ教育は進み、なければいじめや差別に繋がってしまう。
障害者の権利保護は法律的に進んできており、このような定義がなされてきていますが、未だ『特別扱い』という風潮は消えていません。
それはなぜなのか。
知識がないから、それが平等を崩す行いだと考えてしまうのかもしれません。
しかし、合理的配慮は、本来全ての子ども達がメリットを奉授できる可能性があるとも考えられています。
誰しも未来永劫健康で、怪我もしないという保証はありません。
「実はみんなのためにもなること」
と捉えれば、誰かのためではなく、自分たちのための配慮と心得ることができるのではないでしょうか。
また、合理的配慮の知識を得るには、それが重要であると認識する必要があります。
それはどうやって認識するのか。
私は疾患理解も重要だと思っています。
その疾患について知れば、『人』を理解しやすいからです。
「簡単なことなのに、なんで同じ間違いを繰り返すんだ」と非難した相手の疾患症状が「ミスを繰り返す」であった場合、無知は不用意に人を傷つける罪にもなり得ます。
「言動がおかしい」という誰かとの差を表す言葉も、「先天的な脳の特徴」と言い換えれば、印象が異なりますし、実際に天才と呼ばれる人の多くが脳の特徴を持っています。
世界中で多様性が求められています。それは経済のためである部分が大きい。
経済、社会、環境は循環しているので、インクルーシブ教育のおかげで、天才的な発明家が生まれ、STI for SDGsが進む可能性にも期待したいです。
子どもには、「差別をする子」、「差別をしない子」どっちに育ってほしいですか?
と質問したら、100%のパパママが後者と答えると思います。
しかし、日本は差別の根が深い国と言えるかもしれません。
ガブリエルがHEROである理由。これからの『いじめ対策』の記事でも、日本のいじめは集中型(当事者数は少ないが、頻度が高い)であることをお伝えしました。
いじめや差別によって、教育が奪われることがあってはいけません。
誰一人残さないことがSGDsの大原則です。
インクルーシブ教育を推進するために、疾患理解が広がり、合理的配慮の線引きが見える化された社会が訪れるよう、学びの重要性を伝えてゆきたいと考えています。